What’s Wrong with Japanese English Teachers?に対する返事

Page No.: 
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Writer(s): 
Beniko Mason, International Buddhist University

 TLT1月号に掲載されたMike GuestさんのWhat’s Wrong

with Japanese English Teachers(日本人英語教師のどこが悪

いのか?)という記事の題を見た時、てっきり、ネイティブ

スピーカー教員が日本人の英語教員の欠陥と弱点を批判した

記事に違いないと思った。新たな不満は一体何なのだろうと

意気込んで記事を読んだら、なんと、日本人教員をかばって

いる記事だったので、拍子ぬけした。しかし、読後、嬉しく

もなかったし、同意もできなかった。

 まず、日本人が中学高校を通して6年間も英語の授業を受

けながら、読むことも、書くことも、話すことも、聞くこと

も、日常生活レベルでできないというのは、まさに、6年間

の授業が失敗だという他はない。物理や天文学の授業を受け

た学生が物理学者にならなかったり、明日の天気を予想出来

なくても、物理や理科の教員は責められないのに、英語の教

員だけ責められて、気の毒だというけれども、それは、あの

人が出来ないのだから、私もできなくて良いと言っているの

と同じである。生徒が物理の学者にならないにしても、物理

を教えた教員は、義務教育で日本国民が活用できる知識とし

て持たなければならないという程度の知識を生徒に教えるこ

とができなかったとしたら、それは、やはり、物理の教師も

非難されるべきである。物理の授業にも問題があり、教授方

法の改善が要求されなければならない。

 若い経験のないネイティブの教員が日本の学校へやってき

て、その学校でベテランの英語教員の教授方法を軽蔑し、新

しい教授方法を伝授しようなどとは厚かましい、嫌がられて

も当然だとG u e s t さんは言うが、それは、その若いネイティ

ブの講師の生意気なやり方に問題があるのであって、より効

果の高い、効率の良い教授方法は、伝授するべきである。

 違った状況で、ネイティブ教員の不当に失礼な言動には多

くの日本人が不愉快な経験をしているのは確かである。しか

し、それは、対人間の問題であって、英語教育改善という観

念的な目標とはまた別である。批判されても、不愉快な思い

を味わったとしても、間違いは正していかなければならな

い。

 G u e s tさんの大学に入学してくる学生が、基本的な文法や

基礎単語を修得しているからといって、現在の日本の英語教

育はそれで良いなどと言ってもらっては困る。志望大学の入

学試験に合格したい高校生は、塾や予備校へ行って、試験の

ために、英文法を数学の公式のように覚えて、単語を丸暗記

して試験を受ける。そんな詰め込みの勉強は、時間とエネル

ギーの無駄であるばかりか、「結局、自分は英語を修得する

ことができないのだ」という諦めにつながる。希望と夢に繋

がらない学習なんか何のためにしなければならないのか?入

学後、大学で英語をより良い方法で学習しないと、覚えた単

語はほとんど忘れてしまう。大学での英語の授業なんか、ほ

とんどの場合若い青年の知性を馬鹿にした卑劣な授業が多い

のだ。ドリルが好きな学生がどこにいるか?1ページに2時

間も3時間もかけて辞書をひきながら訳していく英文訳読を

好きな学生はいない。効果もなく、効率も悪いと分かり、学

生も嫌がっている授業方法をまだ続けたら良いと主張する

Guestさんの動機は一体何なのだろうと疑う。

 文部省の指導要項には、いろいろ目標が書いてある。それ

が達成できていないのは、他にも理由はあるだろうが、一般

的に言って、中学高校での教授方法が間違っているのと、教

員の質が低いからである。教員の質が低いのは、大学で教員

養成をしている大学教員の質が低いからである。子供たちは

被害者で、その教育環境の中での不幸を少しでも取り除きた

いと、多くの日本人の英語教員が、より良い教員養成に努力

し、より効果があり効率の高い教授方法を調査研究して日夜

努力しているのに、このままで良いなどという発言には驚く

だけでなくて、憤慨した。高校教育の目標は、生徒に勉強の

仕方を教えるだけのところではなくて、実際に、卒業後に、

精神的にも物質的にも豊かな生活を楽しむための教養と技術

を養成することにある。その目標に達したいので、日本人教

員は努力しているのだ。

 G u e s tさんは、日本人教員はそんなに悪くないと言って、

理解のある優しい友人のように聞こえるけれど、親友という

のは、一緒に理想を追及してくれる人のことなのだ。